蛇崩写真館


昭和30年代



昭和30年頃の航空写真
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昭和30年頃の航空写真

左下のヒトデ型の五叉路が蛇崩交差点です。

駒澤練兵場の跡地には昭和20年代中頃から公務員住宅等が
建ち始め、世田谷公園も開園。そして、24年には東山中学校
が建設、33年にその一部を借りて東山小学校が出来ました。







昭和31年頃の蛇崩交差点

昭和31年頃の蛇崩交差点 (祐天寺方面への道)

木々も鬱蒼と生い茂り、人通りもまだまだ少ない頃。






橋本酒店 配達用軽トラ第一号

昭和34年

当時人気のあったマツダの三輪トラック「K360」購入。

これが、橋本酒店の“配達用軽トラ第一号”です。






昭和37年頃の蛇崩交差点

昭和37年頃の蛇崩交差点 (祐天寺方面への道)

人通りも増えて賑やかになってきました。



少し角度を変えて撮影

橋本酒店の2Fから撮影

橋本酒店の2Fから撮影。のんびりとした午後のひととき。






昭和38年頃の蛇崩交差点

昭和38年頃の蛇崩交差点(祐天寺方面への道)

この頃から車の往来も増えてきましたが、信号機もまだ
設置されていない、のどかな雰囲気の交差点でした。



ところが、ある日の午後・・・

だんだん車が増えてきた・・・

だんだん車が増えてきたと思ったら・・・



あっという間の大渋滞!

あっという間の大渋滞!

まだ信号機が設置されていないから大混乱!



ところで、大渋滞の原因は? と言われると・・・

40年以上も前のことゆえ撮影した本人の記憶もおぼろげでして
実は「大渋滞」の写真が「小渋滞」の写真の前だったか後だった
かも定かではありません。しかしながら、遙か遠い記憶を手繰り
寄せると・・・  次のどちらかが原因だったと思うのですが・・・。

「翌年39年に開催された東京オリンピックに伴う整備工事
などで幹線道路が通行規制となり、その迂回路になった
蛇崩交差点に大量の車が流れてきたから・・・」 という説

「この日がメーデーで、幹線道路は通行規制となり、それ
ゆえ蛇崩交差点に車が流れてきたから・・・」 という説。

「単なる偶然が重なっただけ」という説もありますが、個人的には
「東京オリンピック説」が歴史観溢れ、もっともらしく感じます・・・。




昭和38年頃の三宿病院 同時期の路地裏
 
昭和38年頃の三宿病院

病院と言うよりは研究所の雰囲気。

     
その頃の路地裏は
まだ舗装されず・・・

正面は三宿病院。




昭和38年頃の世田谷公園

昭和38年頃の世田谷公園
(現在の青鳥養護学校に面した公園入口)

当時の世田谷公園は今のような設備や木々も少なく、
単なる広場と言った感じでした。




昭和39年頃の蛇崩交差点 昭和39年頃の蛇崩商店街

昭和39年頃の蛇崩交差点
(青葉台から蛇崩交差点への到達地点)


正面は現在、ガソリンスタンド。

そのまま道なりに進むと商店街 →



同時期の
蛇崩商店街


そして
商店街全景





中目黒方面への道 坂を下りきると蛇崩川
 
同時期の蛇崩交差点
(中目黒方面への道)


広告看板がレトロ!

そのまま真っ直ぐ進み→

    
坂を下りきったところに
蛇崩川が流れていました。

昭和40年代に暗渠化され
現在は緑道になりました。

 




お嫁入り風景

同時期の蛇崩商店街

当時のお嫁入り風景。
この年の10月、東京オリンピック開催。




お嫁さん、蛇崩交差点横断中・・・

お嫁さん、蛇崩交差点横断中・・・。




三宿病院入口付近 下馬に突入!
 
同時期の
蛇崩商店街

三宿病院入口付近。

さらに進むと→

 

世田谷区下馬に突入


トラックが昭和的雰囲気。
でも、カッコイイね!


 




お祭り風景

昭和39年頃の蛇崩交差点 (祐天寺方面への道)

当時のお祭り風景。 蛇崩交差点横断中・・・。




そして、ちょっと一休み・・・

ちょっと一休み・・・

橋本酒店の前で休憩中・・・。




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